この先に乗る人なしと知るときのバスの車内は少し華やぐ
六厩めれう
いしみちはここで終わりてぬかるみを具象具象と歩くほかなし
よき火口(ほくち)探しにゆきて時は過ぎついに火蓋を切ることはなく
車窓より眺むる街の煙突の毒気を高く放り上げたり
点となり線ともなろう鳶たちの行きし方など知る由もなく
お砂糖のクルルマークを崇めれば力がみなぎるような気がする
なんかアイヌのシンボルに似てない?最近マスクの刺繍でよく見かける。
誰が何と言おうと短歌は難しい。思い通りに詠む、失敗する、流行っぽい作風に迎合する、失敗する、古語文語に挑戦、失敗する・・・どうしたらいいねんという感じ。自分を曲げたうえで失敗するとよりダメージも大きい。嫌いなものを我慢して食べた見返りが全然ない。
少しわかってきたこともある。あまりいろいろ詰め込みすぎてはだめだということ。あと共通体験で連帯している者同士は互いの歌が(説明なしでも)わかってしまうということ。
しかしどんなヘンテコな世界にも毫ほどの真実はあると思う。どんな嘘でも 100% の嘘はあり得ないわけで必ずいくらかの真実を含んでしまう。そういう意味で無記名の SNS 歌会の投票システムというのも、案外真実に近い結果がでているのではないかとも思う。
2020 年自選短歌『陰』
慣習が、優しいそれがこの歌を駄目にするべく牙を抜くのだ
六厩めれう
黒電話指で回して現世(うつしよ)のすべての数を追い詰めていく
まだ少し信じてはいる座して死を待つよりも死を迎えに行くよ
騒擾のいっそ渦中の人となり夜すがらひとつオクターブあげて
狂犬は犬として死すも人間は人として死すること能わず
絶海にただ独り身で漕ぎ出せばいずくを見ても容赦なく海
2020 年自選短歌『陽』
それなりに歪む景色が愛おしくこの年の瀬も玻璃窓を拭く
六厩めれう
筆の穂を洗うバケツのひと部屋を綺麗なままに残す必然
木と鉄のあわいあやうし地下壕に打ち捨てられたスコップひとつ
意匠上われには肩がふたつあり払い除けるべきなにかは積もる
鎧われてある草かんむりの牙をもて優しい春の甘噛みをする
飛びながら眠るならいのあの人は胸に小さな陰火を抱く